光と影

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昔、渡辺淳一の光と影という短編小説を読んだことをふと思い出しました。

戦争でともに腕を負傷したふたりの同期の軍人。

医師のちょっとした判断の違いから運命が大きく変わっていく。

人生を分けたのはふたりのカルテ。
どちらかが上でどちらかが下

きっと看護師さんが何気なくおいたそのカルテの順番が、ふたりのその後の人生を大きく変えていった・・・

当時の医療レベルではふたりの腕を切断することが適切な処置とされていました。

上に置かれたカルテの患者の切断処置が終わった後、医師はふと当時の医療技術では難しいとされていた腕を残して治療するという選択をして下のカルテの患者に治療を施します。

その時に起こった医師の選択の変化

処置が終わり腕を切断された患者は順調に回復。

一方腕を残された患者は、感染症に苦しみながらこの世の地獄を体験。
時間はかかりましたが後に回復。

その後の彼らの人生は・・・

腕を切断された軍人は腕がないというハンディゆえに陸軍の福利施設へ勤務。

一方、腕を残された軍人は歴史上の人物として、陸軍大臣から総理大臣にまで昇りつめた

寺内正毅(てらうち まさたけ)です。

この短編小説はあくまでふたりの『出世』という観点から、運命の分岐点を描いています。

たった一枚のカルテの順番がふたりのその後の運命を翻弄してゆきました・・・

腕を切断された軍人のその後の人生が不幸であったか?

総理大臣にまで昇りつめた寺内正毅が本当に幸せを感じて日々過ごしていたのか?

それは本人にしかわからないことです。

仮に福利施設への勤務になった方が、同期の出世を横目にみじめさを感じていたとしましょう。

そして寺内正毅が総理大臣としてすべての権力を手に入れ順風満帆でとても幸せな人生を歩んだと。

大いなる視点から観た時はどうなんでしょうか?

今世の魂の目的が特別意識や人を裁いたりジャッジしてしまうところを超えてより自由になること
さらに強い光になって戻ることが目的だったとしたら・・・

みじめさを感じ、人の痛みを知り、自分の観念を手放すプロセスの中で魂が磨かれてゆく。
一方、順風満帆のように見えても麻痺の中ただ傲慢になり人生をやり過ごしてしまったら。

魂の進化と現実に起こっている事とは完璧につながっています。
現実に辛い出来事の中に進化のチャンスがあったりするんですね。

だからと言ってあえて辛い状況を探したり、自分を悲劇の主人公にする必要はないのであしからず。
それを修行好きと言います(笑)

寺内正毅は国家のトップといて、さまざまな困難を乗り越えることで、御霊磨きをしていったと捉える方がむしろ自然かもしれませんしね。

ですからあくまでも流れを信頼して人生に向き合う事が大切な訳です。
渦中の時はとてもとてもそんな風に思えないでしょう。
当然の事だと思います。
でも一歩出てみるんです。辛くてもね・・・

自分にも言っています(笑)

瞑想の世界でも深い静寂の瞑想を良しとしてカルマが上がってきて雑念ばかりでそわそわしている瞑想が上手くいってないんじゃないか・・・
なんて言われる方がいらっっしゃいますが、どちらも良い瞑想なんですね!
雑念ばかりでそわそわした瞑想の時は解放が起こっているんです。

チャンスですね!


人生でもうまくいってるな!って思う時にはその状況を心から楽しめばいい。
そして人生が自分の思う通りに行かずつらいな、苦しいなと思ったら、魂磨きのチャンスと捉えてその状況と向き合えばいいんです。
状況と戦うんじゃなくてね!

ふたりは魂の存在としてあちらの世界に帰った時どう感じたんでしょうかね・・・

それすらもわかりません。

でも一つだけ言えることは、すべて必然で偶然に起きることはひとつもありません。

なにげなく置かれたカルテの順番ですら・・・です。

それではまた次回!

瞑想コミュニティ西荻窪
代表 梅原富美夫
ホームページURL

http://www.ffnishiogi.com/

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